出席メール(農村社会学)

第7回目



  1.  出席しました。

     個人にではなく「むら」に地代を請求すると「むら」の人々が協力し合い「むら」が平等・共同を貫くようになるという流れを私は実は納得しきっていませんでした。地代を請求されると自ずと「むら」の中でトップが決まり、階層構造が形成され、階層の下に属する人々を苦しめる事で上の人々は楽をする、という選択肢もあるんじゃないかと思ったからです。今日の講義の中で「むら」に階層構造があれば、下の階層の人が苦しくなって地代が払えなくなった時、「むら」の他の人々の負担が増えるから平等性を追求した、というお話がありましたが、それは「むら」に請求されていた地代がとても厳しいものだったからでしょうか?

     又、ヨーロッパで三圃式農業からノーフォークローテーションへの革命が起こる事で、休閑地が不要になり、放牧から舎飼になり、集中化、肥沃化、収穫量増大が実現し、個別経営が可能になったため個人主義に変わっていったことは理解できました。しかし日本に畦畔があり解体が不可能で無蓄だったからといって滞在的総有の考え方がなくならなかった理由がわかりませんでした。分散している農地をローテーションができるようにうまく工夫するなど、個人経営を可能にする方法は日本にはなかったのでしょうか?ご指導いただければ幸いです。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

      「それは「むら」に請求されていた地代がとても厳しいものだったからでしょうか?」

       前時代においては生産力そのものが低かった、という事実に注意しなければなりません。例えば、ヨーロッパにおいて肉食が一般化するのは近代に入ってからという研究もあります。また講義でお話ししたように、封建制下の三圃式農業においては、家畜は非常に痩せており、なおかつ冬越し飼料が確保できないために冬前に多数屠殺されたと言います。

       日本においても、コメの反収は今の3分の1以下だったわけですから非常に生産力が低かったわけです。そのような状況下で、5公5民とか4公6民という年貢の徴収は、非常に厳しいものだったと言ってよいと思います。

       ヨーロッパにおける農業革命は、農業技術的には三圃式農業から輪栽式農業への転換と捉えられています。ノーフォークローテーションは、非常にバリエーションが豊富な輪栽式農業の中で、もっとも有名なものです。

       日本では、水田農業であったため、輪作の必要性はあまりありませんでした。稲と麦の輪作は土地を有効に使うためのものであり、それを1年のサイクルの中で行えたことは、日本における風土的な農業条件がヨーロッパに比較して格段によいことを示していると言ってよいでしょう。

       日本において明治以降、制度的には農地の私的所有(近代的土地所有)が成立したにもかかわらず、潜在的な形で総有が残ったのは、畦畔があることや、無畜だったことによるのではありません。それは水田農業であったことによるのです。

       水利用は、個別では出来ないのです。いくら土地所有が近代化したからといっても、水田農業が変わったわけではなく、水利がその農業を決定づけました。水利を「むら」の共同で行わなければならない以上、共同体を解体できなかったのです。また稲作であったことが、田植えを必要とし、田植機の開発・普及までは、田植えのための共同は不可欠だったのです。その結果は、「むら」独特のエートス、倫理、精神構造は、少しずつ変化しながらも、確固ととして存在しつづけたのです。

       次回お話ししますが、このような状況に変化が起こるのは、昭和50年代に入ってからです。

            柏 久


  2.  出席しました。

     前回の出席メールを読んでいたら、大学における考え方について議論がなされていました。非常に興味を持ったので、今回はこのことについて少し書かせていただきます。

     現在の僕は、知の探求といった崇高な目的意識を持っているとは言えません。今までの受身な勉強姿勢のせいか、自ら課題を設定して取り組むという行為がいまだにうまくできません。

      僕はいわゆる進学校出身で、六年間かけて大学受験に取り組むようなカリキュラムが組まれていました。それにうまく乗ってここまできてしまった感があります。そう考えると、大学での研究というものまでが、中学の定期テストの延長上としてこなせてしまうように思えてきて、恐ろしくなります。これはもはや、大学だけの問題ではなく、大学入試、それにいたる中高一貫校の受験教育、そういう中学の入試のための勉強、全てが大学の甘えにつながるような気がします。これは僕個人の今までの道のりから考えたもので、もちろん当てはまらない人もたくさんいます。そして、同じような道を通ってきた人でも、立派な大学生もいるでしょう。ただ、大学単体だけではなく、そういう受験システムそのものが「むら」構造を生み出す原因になっているのではないかと思います。

     うまく言いたいことが書けなかったのですが、現在の大学という組織に問題があるというのは間違いないと思います。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

       私は中高一貫の進学校を肯定こそすれ、否定していません。そして受験というものも、決して悪くないと思っています。自らの経験からいって、学問をやるための基礎学力の涵養にとって、受験勉強は大きな意味があります。しかも、われわれの時代には、理系も文系も英数国に理科2科目、社会2科目の試験が課せられていました(センター試験に当たるものはなかった)。これによって、非常に幅広い基礎学力が涵養されましたので、今とは少し状況が違うかもしれませんが、いずれにしろ、ゆとり教育といって、基礎学力を付けることを軽視することは、非常に大きな弊害があると思います。

       それでは問題はないのかというと、そうではありません。問題は、進学校云々ではなく、大学が本来の理念とは異なったものになっている現実と、大学をそのような状態にしてしまっている日本の社会システムではないでしょうか。それを「むら」構造と呼べるかどうかはわかりませんが、何らかの形でつながっていると思います。

       それでは本来の大学とは何か、ということになりますが、これをやり始めると切りがありませんので、別の機会にやりたいと思います(すでに、前回、かなりやっているともいえますが … )。

       ただ、京大に関していえば、私は、本来的には、学者や研究者を目指す人たちが集うところだ、と思っています。たとえ、将来、別の道を歩むことになるとしても、学問・研究とは何かを学び、学問の道に入ったことを生かせる仕事に就くべきだと考えています(今日、どの世界であっても生かせるはずです)。

       ですから、入学当初から、学問に道に入るための教育を施すべきなのですが、現実にはそれが出来ていません。私が6年前から農学部執行部に提案しているのは、農学基礎教育を担う組織の設立です。それによって、大学における知の探究が、高校までの知識の伝達とはまったく違ったものであることを、入学生に知らせることができるはずです。

       この組織についての説明は、別の機会にゆずるとして、今や、大学が新しい組織形態、システムを実現してゆくべき時である、ということは間違いないと思います。

            柏 久


  3.  カブは食料にするのじゃなく飼料にするのが不思議だ。やはり、ヨーロッパと日本では文化的差異があると思い知らされた。また、今日の授業で三圃式農業から輪作への転換は、様々な分野のイノベーションを伴った劇的なものであると知った。

     今後今までのように人口が増えれば、今ほど肉が食べられなくなるだろう。しかし、日本には世界に誇るべき菜食文化「精進料理」がある。今までの西欧偏重からの脱却の時が近づいて来たと思う。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

       ヨーロッパにおいて、重要なカブとして、飼料用カブと甜菜があります。風土の違いは、農業、食生活の違いを生み、その結果、文化の違いを生み出すといえるかもしれません。三圃式から輪栽式への転換、いわゆる農業革命は、産業革命の裏打ちがあってのものであり、しかも技術的なものの変化が社会構造の変化を導いたところに革命と呼ばれるゆえんがあります。

       確かに日本の食生活は非常に洋風化したにもかかわらず、今なお日本型食生活と呼ばれても、違和感がありません。今後さらに洋風化が進む可能性がないとは言えませんが、若い世代が日本の食文化に関心を持つようになれば、状況変化が期待できるかもしれません。

           柏 久


  4. 6月4日の授業、出席しました。

    ヨーロッパと日本の農業スタイルの変遷、史上における所有と耕作の分化といったことがその内容だったと認識しています。興味深く聞かせていただきました。次週もよろしくお願いします。

    手短ですが、それでは。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

       ヨーロッパと日本では、畑作と稲作という決定的な違いがあるにもかかわらず、封建制下における農村の社会構造に共通性があったという点がおもしろいところです。それを説明するのに土地所有の歴史ということを持ち出したのですが、所有が意識されない原始的段階から、所有と耕作の未分化→分化と、歴史的展開して、封建制における土地所有の二重構造が出来たといえると思います。このような見方からすれば、封建制から近代への変化は、所有と耕作の分化→統合への展開過程と言うことになります。

           柏 久


  5. 今回の授業とは直接関係ないのですが、先日実家の方で田植えをしました。 その時に感じたことを書きたいと思います。

    まず、田植えの時期に問題になるのが水ですが、そのことについて今年は少し 違った目で見ることが出来ました。

    零細分散錯圃制のところで、水を平等に配ることが一つの理由だという話でしたが、 水には、川水と池水の2種類があるので、この二つは少し違うものではないかと感じ ました。

    川水は、常に川から流れているので、水不足でないかぎり取水にはあるていどの自由 度があると思い ます。反面、池水は池からだすので、決まった一日のなかで自分の田に水を入れなけ ればなりません。 ここで、川水であれば、一度水を抜いてももう一度いれることが出来るが、池水であ れば一度抜いて しまうと次に入れることが出来ない。

    田植の時期に水を張っておくことは必要ですが、苗を植える時は水が少ないほうが植 えやすく、時間も 短縮できます。また、水が少ないと植えた後に流れてしまう苗も少なく効率的だと思 います。

    川水で田に水を張る所であれば一度抜いて、植えた後に水を入れる時上の方が得だと いえますが、 池水のところでは上の田は一度水を抜いてしまうと二度と水が入らないので結局水の 多い田にゆっくりと 植えなければならないことになります。

    水の取り合いに関しても、川水の所ではやはり下流と上流で争いはありますが、池水 のところでは全部の田に 水が入るように池から出すので、水そのものの取り合いというよりは水を出す時期で 争いが生まれると 思いました。

    結局、必ずしも上が得じゃないな、と感じた一日でした。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。私にとっても、都会出身の受講生の方々にとっても、非常に勉強になるメールだと思います。私がコメントを付けない方がよいのかもしれませんが、あえて少しだけ書いておきます。

       河川灌漑かため池灌漑かということは、農村の社会構造に大きな影響を与えることは間違いありません。農村社会学の分野においても、様々な研究が行われてきています。ため池灌漑地域は、一般的にいって水不足地域が多く、「むら」的なものが河川灌漑以上に出てくるといえるかもしれません。ため池が、「むら」を越えて利用されるのでなければ、他の「むら」との関係はあまり問題になりませんが、満濃池などのような大きなため池で、それをいくつもの「むら」で利用するとなれば、そこには自ずと他とは違った「むら」のあり方が出てくると思います。

       農業基本法以降、政府は構造改善事業の一環として近代的な灌漑施設の整備を進め、個別的な水利用が出来る体制確立を進めてきました。それが現実的に実を結んでくるのは昭和50年代以降のことですが、あなたのメールを読んでいて、たとえこのような水利の近代化が進んでも、水田農業である限り、水利用を通して、農村には独特の社会関係が維持されることになるのではないか、という思いを強く感じています。

           柏 久


  6. 出席しました。

    私は今まで、漠然と、中世の農業は日本もヨーロッパも同じ(似たような)仕組みだと捉えていましたが、今回の授業で、両者の違いを教えていただき、農業という側面から、近代化の中で日本とヨーロッパに違うことが起こった理由の一部(さまざまな理由が合わさっているので、全体は知りえませんが)が分かりました。

    これまでの先生の講義では、日本農業の現状、領域論、中世ヨーロッパの農業とその近代化、というお話をされてきたと思います。私は、この中には、中世(昔の)日本の農業についてのことが足りないように思います。おそらく、先生は中世ヨーロッパの農業に、それを代弁させているのだと思います。しかし、現代の日本とヨーロッパの違いのもとを探すときに、中世から近代への流れで、かつては同じだったが(性質や状況の、小さな違いによって)今は違っている、と考えるよりも、かつてこういう違いがあったから今こういう違いとなっている、と考えたほうが、すっきりしていると思います。それで、日本の中世の農業を述べた上で、中世においての中世においての日本とヨーロッパの(類似点ではなく)相違点を強調していただきたかったです中世においての日本とヨーロッパの(類似点ではなく)相違点を強調していただきたかったです。

    私がこのように思うことの一部には、先生が唱える「個の確立」が、「日本を捨てて欧米を見習え」というように聞こえてしまうから、ということがあります。ヨーロッパがこのようにしたのだから、日本もこの性質がああだったらヨーロッパのようになっていたのになあ、という主張に聞こえてしまったのです。もちろん、これまでの講義や、他の方への返信メールなどで、先生が日本のいいところも認めていらっしゃるのは理解しています。それでも私にはそう聞こえてしまうことに、自分の保守性を感じてしまいます。日本の「むら」社会は、深く根付いているようです。私には、これを変えていける自信はありません。

    生意気なことを書いてしまってすいません。次の講義も楽しみにしています。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

      「生意気なことを書いてしまってすいません。」

       何も謝るようなことではありません。社会科学は相互批判の上にしか成り立たない、と私は思っています。日本社会においては、教官と学生の間にはじめから階層差が前提とされており、権威ある(?)教官に対する批判的態度は良くないという、儒教的な感覚があります。しかしそのようなところに社会科学の前進はありません。大いに批判してください。

      「日本とヨーロッパの(類似点ではなく)相違点を強調していただきたかったです。」

       確かに、封建制下における農村の社会構造・共同体を説明するのに、ヨーロッパのを例にとっており、その構造が日本にも共通している、という説明の仕方をしています。違いについては、畑作農業と水田農業、有畜農業と無畜農業ということしか言っていないのかもしれません。あなたの指摘を受けて考えてみると、私の説明には、日本農業・農村に関しては、皆さんに相当の知識がある、という前提があるのかもしれません。来年以降考えたいと言いたいところですが、私の農村社会学は今年が最後ですので、ご指摘は別のところで生かしたいと思います。

      「「個の確立」が、「日本を捨てて欧米を見習え」というように聞こえてしまう」

       確かにそうなのかもしれません。他の方とのやりとりの中にも、私の「個の確立」の主張を、二項対立的に個人主義、欧化主義に結びつける傾向があるように思います。確かに二項対立的な捉え方はわかりやすく、現実を理解する上で有効であることは間違いありませんが、個別を扱う場合には、これで十分だとは、とうてい言えません。

       私が「個の確立」を強く主張するようになったのは、1990年代に入ってからです。それまでも漠然と「個の確立」の重要性を感じていたのかもしれませんが、講義などで他の人にそれを表明するようなことはありませんでした。変化のきっかけは、1991年夏の3ヶ月間のドイツ留学でした。

       講義でも話したかもしれませんが、ドイツでは会話の中で、自分の考え方が絶えず問われます。きわめて日本人的な私は、自分がどう考えているのかが自分でもよくわからないことがしょっちゅうでした。自分が自立していない、ということをいやというほど思い知らされました。

       ドイツでは家庭でも、小さい頃から自分の意見を持つような教育がされます。それは、個人主義といえば自分勝手と結びつく日本などでは想像も出来ないほど、公共性と強く結びついたものです。それは環境大国ドイツを思い出してもらえれば、理解できるのではないでしょうか。ゴミ問題など確かに法による規制があることも確かですが、環境大国は、法によって生まれたのでは決してありません。それには、国民(個の確立した市民)の意識が非常に大きな役割を果たしていると思います。

       もう一つドイツで心に残ったことがあります。私は日本に興味を持つドイツの若者何人かと親しくなりました。20以上歳が違う彼らに、私は色々な名所などを案内してもらいました。その際、彼らがもつ、自分たちの文化に対する知識と誇りの大きさに驚きました。名所のガイドに大学生のアルバイトが多いこと自体が驚きでしたが、それ以上に私を案内してくれた学生達が、地元の文化遺産をはじめ、地元の様々なもにに対して幅広く深い知識もっていて説明してくれること、そして地元のものに対する大きな誇りと愛情を持っていることに驚かされました。

       その若者の一人が日本にやってきたので、私は色々なところを案内しました。しかし、私は京都で生まれ育ったにもかかわらず、京都の文化遺産に対して彼らのように説明することは出来ず、非常に恥ずかしい思いをしました。私は特別なのでしょうか?もし、特別であるならいいのですが、そうではないと思います。

       私が「個の確立」というのは、決して「日本を捨てて欧米を見習え」ということではありません。確かに、上述のことからわかるように、ドイツでの経験が「個の確立」主張に大きな影響を与えています。しかし「日本を捨てて」とは正反対で、むしろ日本を見直そう、日本をよりよいものにしていこう、と言っているのです。

       私を含め、日本人が日本の文化に対して貧弱な知識しか持たず、それを誇りに思っていないのはなぜか、社会の「むら」構造は、この原因にもなっていると私は考えているのです。「むら」構造の中では、人々は自らの閉鎖社会の中でアイデンティティーを無自覚のうちに得ており、改めてそれを自覚する必要がないのです。否、改めて自分とは何か、自分が属している「むら」とは何かを問うことは、「むら」社会の和を乱してしまうのです。だからこそ、人々は自らの文化に対して無関心なのではないでしょうか。

       そのように考えるからこそ、私は「個の確立」を強く主張するのです。ですから、私が個の確立を主張するということで、私の考え方を、個人主義、欧化主義と結びつけるのは、まったくの見当違いとしかいえないと思います。

       私はむしろ愛国主義者です。農業の側面でいえば、日本農業をよくしようという意識を持たず、海外の農業や農村を調査研究して知的満足を満たすようなものを評価することは、とても出来ません。

       以上、あなたの批判に対する答えになっているかどうかはわかりませんが、私の考え方を述べさせてもらいました。

           柏 久


  7. 「理解できない」「すれ違い」とばかり言われると、正直なと ころ、書くことに徒労感を覚えもします。しかし、一方で、僕 のような未熟なものの意見に、真摯に耳を傾けようとされる先 生の姿勢が伝わってきて、非常にありがたく思っています。

     さて、前回のメールに関しても「理解できません」とのこと でしたが、理解できないのは、メールの内容の前半でしょうか 、それとも後半でしょうか?前回のメールは二つの内容に分か れています。一つは、前々回のメールに対する説明として、も う一つは、初めのころに書いた、個人主義者が陥りがちな問題 点についてです。「価値視点が明らかになっていないから、理 解できない」とおっしゃるのは、そのうちどちらの内容に対し てでしょうか?理解できない点として、具体的に挙げておられ るのは、後半に対してですが(これについては後で書きます) 、前半の内容もやはり、意味不明のままなのでしょうか?

     もし理解されないのが前半ならば、僕には、前回以上に書く 能力はありません。また、書いている内容自体が、それほど重 要だとは僕自身考えてないので、これ以上書くことはやめてお きます。

     一方、後半に関しては、それなりのこだわりをもって書いて いますが、先生は、その内容をすでに十分に理解されているよ うに思います。繰り返しになりますが、ここで書きたかったの は、個人主義者が、自分の判断を絶対化にしないよう常に注意 すべきだという、ただそれだけのことです。僕がこの点にここ までこだわるのは、以下のような経験があるからです。

    中学のころ、個の確立を非常に強く訴える先生がおられました 。その先生は、次のような主張をされていました。「日本は個 が確立されていない。学生運動(その先生は学生運動の世代の 方です)のときも、結局、セクトという派閥が出来て、個人が 主体の運動とならなかった。自分は、そうした日本の風潮を、 何とか改善しようと教育の現場に立つようになった。個が未確 立のままでは、第二次世界大戦の過ちを繰り返すことになる」 と。先生のこの主張は、まったく妥当なものだと思います。そ して、その先生は、実際に、いかなる政治団体とも独立した形 で、平和運動をされていました。まさに個の確立された方と見 ることができると思います。しかし、その先生には、重大な問 題点がありました。それは、自分の主義主張が、常に絶対な物 だとして、決して非難を許さなかったことです。たとえば、あ るとき、僕は作文で、平和憲法の空想性について批判したこと がありました。当然、中学生の文章ですから非常に稚拙なもの ではあったと思います。しかし、僕の率直な思いを書いたに過 ぎません。それに対して、その先生は、僕の作文を「悪い例」 として、クラスの全員に配り、「間違った」考え方だと、教え られました。このように、あまりに我が強く出すぎたとき、自 分の価値基準を絶対視することは十分にありえることだともい ます。

    返信メールを読む限り、この批判は、確かに、柏先生に対して はまったく当てはまらないばかりか、先生はその対極におられ る方だということはよく分かりました。しかし、「この非難は 私には当てはまりません。が、個の判断を絶対化してはならな いと思います」といわれるなら分かるのですが、「私には当て はまりません。したがって理解できません」といわれると、非 常に戸惑わざるを得ません。メールを見返していただければ分 かりますが、はじめから、個人主義者への非難は、先生ご自身 に向けられたものではなかったはずです。先生には該当しなか ったからといって、僕の主張が成り立たなくなるわけではない と思うのですが。

    ただし、僕が勝手な邪推をして、先生を、「自分の判断を絶対 化する人」であるかのように書いたことに対しては、謝りたい と思います。「それはどのような根拠によるのでしょう」とか かれていますが、根拠はまったくありません。僕の経験からの 勝手な類推に過ぎません。大変失礼なことをしたと思っていま す。(先生は、「自分の判断を絶対化する人」では決してない ことは、返信メールの真摯な対応、授業での語り口の二点から 、それはよく分かりました。たとえば、今回の授業では、後半 でされた、食糧自給の話の語り方からもそれを感じました。具 体的には次の点です。先生は、70%から40%への自給率の低下 に関して、「カロリーベースで数値を出したのは食糧安保の観 点からは妥当なもの」と一応、認めたうえで、農水省の対応を 非難しました。「一応、認めたうえ」での主張であったことは 非常に重要だと思います。それがなければ、単なるプロパガン ダです。これは、「自分の判断の絶対化」とは多少ずれるかも しれませんが、それを避けるためには、必要な留保だと思いま す。)

    さて、前回のメールに関して、二つの不明な点を挙げていただ いています。それに関して答えておきます。

    まず前者、「客観的に妥当性を備えたもの」という表現が矛盾 をはらんではないかという指摘ですが、これについては確かに そう言われても仕方がないと思います。ここで言う矛盾とは、 僕が、個人は相対主義者を越え出てはならないと絶対主義的傾 向を非難しているように見えながら、「客観的に妥当性を備え たもの」という絶対的な価値基準の存在を想定していることに あるのだと思います。僕は、ここでそれが存在するということ が言いたいわけでありません。ここでの真意は、次の点にあり ます。すなわち、客観的に妥当性を備えたものが実際に存在す るかどうかはともかく、自らが何らかの判断を下すときは、そ の存在を仮定して、それへと向かう指向性を常に維持するべき だということです。その存在を仮定しなければ、自分の判断に 対する批判的視座を持つ動機が生まれてこないと思うのです。 完全に、客観的なものの存在を否定してしまった相対主義者は 、形を変えた絶対主義者になるはずです。

    次に、後者、「天皇」についてです。こちらに対しては、僕は 、書かれていることが納得できません。先生は、天皇に対する 評価を明らかにするように書かれていますが、これは僕が、親 天皇か、反天皇か、その立場を表明せよということでしょうか ?それを表明しない限り、「理解できない」ということなら、 僕は、これに対しては首を傾げざるを得ません。極端に言えば 、これは、「プロテスタンティズムの禁欲的精神が、資本主義 の誕生に大きく貢献した」という人が仮にいて、その人に、「 お前は、プロテスタントか、そうでないのか、それを言わない と理解できない」といっているのと等しいように思うのです。

    ただ、自分が天皇(制)というものをどう捉えているかについ ては、答えなければいけないと思います。
    僕は、一言で言うと、天皇制は、廃止されるべきだと思います 。それは、以下の理由によります。

    社会を、共同性によって成り立つ社会か、公共性によって成り 立つ社会かで二分することができるとしたら、日本は、共同性 によって成り立っている社会だと思います。ここでは、「共同 性」と「公共性」という言葉を、前回のメールの「相互監視の 社会」と「法の社会」にそれぞれ該当するものとして、捉えて いただければいいと思います。
    「日本が共同性のうちにとどまっていること」を象徴している のが、天皇の存在ではないか。これが、前回の最後の部分で僕 が言いたかったことです。

    たとえば、天命思想とは、「皇帝は天の命を受けて人民を統治 しているが故に、皇帝が天の命に反した場合は、その地位を去 らなくてはならない」という思想です。この場合、天の命は、 皇帝に先行しています。言い換えれば、天命という超越的な規 範が、世俗の権威に先行しています。しかし、天皇制では、そ れが見られません。天皇は、世俗の権威であり、そして、それ がそのまま、規範なのです。

    共同性が、天皇制のうちに体現されているというのは、戦時中 、日本は、「天皇の下にある万世一系の国」とされたことにも 現れています。共同性を代表するものは、家父長的な家族です 。天皇を家父長とする家族という比喩で日本を表現したことが 意味するのは、日本は共同性の下にある国であり、かつ、その ことは天皇制というものに象徴的に体現される、ということだ と思います。

    僕は、この共同性の下にある日本は、公共性の下にある社会へ と抜け出さなくてはならないと考えています。具体的には、そ れは、個を確立することによってしかなされないことです。個 を確立し、共同性を公共性へと変革する、これが今後日本の進 むべき道のはずです。

    そのためには、今の天皇制は、必ず廃止されねばならないと考 えています。日本の体質を象徴している天皇という存在をその ままには、成熟した市民社会、公共性の下にある社会は、実現 できないと思うからです。もちろん本来なら、天皇制は、昭和 天皇が敗戦の責任を取るという形で退位し、それとともに廃止 されるべきだったはずです。しかし、GHQの方針によって、実 際には残ってしまった。そのことが、戦後の日本がすべてをあ いまいにしたまま放置してしまった一員にもなっていると思い ます。

    今の日本の体質を象徴するもの、それを僕は、この天皇制と、 欺瞞に満ちた平和憲法にあると考えています。天皇制の廃止と 、日本国民による平和憲法の選びなおし、その二つは、今後の 日本を考える上で欠かせない要素ではないでしょうか。しかし 、この両者は、いまだにタブーのままです。(北朝鮮の問題か ら、急に、後者はタブーでなくなりつつあります。この雰囲気 は、僕の平和憲法に対する立場とは別に、非常に危険なものだ と思いもいます。まさに日本の体質が現れているといってもよ いと思います)。
    以上、大雑把に天皇制について書きましたが、これが、おおよ その僕の天皇に対する評価です。

    また「理解できない」とだけメールが返ってくることを恐れま すが、非常に長くなってしまったので、この辺りで終えておき ます。(できれば、先生の天皇に対する考えをお聞かせいただ ければうれしいです。確かに非常に微妙な問題ですが、先生な ら堂々とそれについて答えていただけると信じています。)以 上で、僕の価値視点は、少しは明らかになったのでしょうか? 何をどうすれば価値視点を明らかにしたことになるのか、いま いち、理解できないので、直接は言及できませんでした。まだ 僕の書き方が不足なら、どの部分が不足か具体的に言っていた だければうれしいです。以上、またも長々と書いてしまいまし た。申し訳ありません。貴重なお時間を割いていただきありが とうございました。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

      「「理解できない」「すれ違い」とばかり言われると」

       今回のメールは、非常によくわかりました。それは、やはり、あなたの価値視点が理解できたことによるものだと思います。前回のメールの前半がわからなかったのか、後半がわからなかったのか、とお聞きですが、私がわからなかったのは、というより、わかっていたつもりだったのにそれが前々回と前回のメールでわからなくなってしまったのは、あなたの価値視点です。

       文章を書くということは、非常に難しいことです。特に社会的現実についての文章を書き、議論をする場合には特にそうです。自分ではわかっているつもりでも、相手に伝わらないことは、よくあること、というより、その方が一般的かもしれません。というのも、「無限に多様な社会的現実」を有限な能力しか持たない人間が認識しようとすれば、ある価値視点に立った抽象を行わざるを得ませんし、その際に用いる言葉、概念もまたある価値視点に基づいたものにならざるを得ず、言葉や概念の意味するものが、議論をするもの同士で異なっている場合が多い、というより一般的だからです。

       例えば、私は、「客観的に妥当性を備えたもの」という表現にクレームを付けましたが、私の捉え方からするなら、妥当という言葉は価値と関わっていて(事実、英語にしてもドイツ語にしても妥当を表す言葉は語源的に価値とつながっている)、十分な説明なしに「客観的に妥当」といわれても、それが何を意味しているかわからないし、矛盾しているようにも思えるのです。

       私は、ウェーバーともに、価値の善し悪しは科学のレベルでは決することができず、しかも現実を、ある価値視点からしか認識できない社会科学において、主観性を含まない客観性などあり得ないと考えています。ウェーバーにおける「神々の闘争」というものが、いかに重い意味を持っているかが、ここから理解できます。研究者一人一人の信じる価値が科学のレベルで善し悪しを決することが出来ない以上、社会科学の客観性が成立するには、価値と価値とのぶつかり合い(神々の闘争)の場が保証されねばなりません。社会科学には無条件の客観性というものはなく、客観性を得るために、自分がどのような価値視点に則っているのかを、自分に対しても、他の人に対しても、明確にする必要がある、と私は考えているのです。

       このように考えている私にとって、あなたの価値視点がかなり見えてきた今回のメールは、よく理解できました。

       私は当初、あなたが個人主義を肯定されているが、それに特別なこだわりをもっておられる、と理解しました。しかし前々回と前回のメールで、その理解が揺らぎだし、「むら」的なもの、集団主義的なものを肯定されているのではないか、と思うようになりました。それが私に「わからない」と感じさせた最大の理由だと思います。

       私もあなたの考え方を理解するのに二項対立的な理解をしていますが、これは全体的な理解にはよいが、個別理解にはきわめて不十分です。あなたも私も、集団主義的か個人主義的かという次元では、個人主義的ですが、個人主義一般でくくられることには不本意であるはずです。

       この一つ前の返信メールで書いたことを参照して欲しいのですが(Web掲載のメール順は、基本的に出席メールの到着順で、返信もこの順に書いています)、私は自分が個人主義者である、ましてや西欧流の個人主義の信奉者である、などとは考えたこともありませんし、もしそうだと思われているのであれば、不本意です。

      「しかし、僕の率直な思いを書いたに過 ぎません。それに対して、その先生は、僕の作文を「悪い例」 として、クラスの全員に配り、「間違った」考え方だと、教え られました。」

       この箇所を読み、あなたの個人主義に対した屈折して思い入れが、非常によくわかりました。しかし私にいわせれば、この先生は本当に「個の確立」した先生だとは思えません。個の確立した先生であれば、子供たちをも、彼らがたとえ未熟であっても「個」として認めるはずであり、このような行動をとるはずはないのではないでしょうか。先生と生徒といえども、「個」という次元では対等であるにもかかわらず、この先生にはその認識がないように思います。もし「個の確立」が個人主義に結びつき、ご当人が自分を個人主義者だと自認されているのであれば、似非個人主義者としか呼べないように、私には思えます。

       少なくとも私は、受講生の皆さん一人一人に、私と対等の立場にある「個」として接して、議論をしているつもりです。もちろん反面教師としてでもよい、「個」のレベルで、皆さんに何らかの影響を与えたいと思っていますし、逆に皆さんから何かを学びたいとも思っています。

       さて、後は天皇について議論しなければなりませんね。私が質問したにもかかわらず、私が答えないのでは、卑怯というそしりを受けても仕方ありません。しかしそのそしりを受けても、私は、あえて天皇制批判をここで展開することはしないでおこうと思います。それは、身内に危険を及ぼしたくないからです。私は、天皇制の問題が、未だそれ程までにタブーだと信じています。あなたは匿名で書いておられますが、私が書くことは匿名ではありません。ただ、これだけは書いておこうと思います。あなたが天皇(制)に関して書かれている部分、非常に明快で、私は全面的に賛意を表します。私が付け加えることはほとんどありません。前回のメールで、私がわからなかったのは、あくまでも「天皇は、内在と超越の境界に位置づけられている」という文章が意味することでしたが、文章の流れから、「あなたの価値視点からいうなら、天皇はどのように評価されるのでしょうか。」と書いてしまいました。しかしあなたがそれに真摯に答えられたことによって、あなたの社会を見る際の価値視点が、私に非常にはっきりと理解できたのですから、不思議なものです。

       以上、最後の点に関しては不満が残られるでしょうが、私の返信とさせていただきます。

          柏 久


  8. ここ3回ぐらい、「個と共同体、あるいは社会」ということについて議論させていただきましたが、

    先生のおっしゃることは、分からないではないのですが、いまひとつ腑に落ちない感じがするのは、やはり私が先生のおっしゃる「個の確立」ということがよく理解できないからだと思います。先生は以前、「個の確立」とは、自らがかけがえのない、個性ある存在であるということを自覚し、・・・」とか「自分が悠久の時の流れの中で、きわめてはかない存在であり、だからこそ、かけがえのない存在なのだ、という自覚が生まれれば・・・」と書かれていらしゃいましたが、そのような個としての自覚が果たして可能か、いかにして可能か、ということです。

    個あるいは個人という概念は社会という概念と対の概念であると思います。つまり、個人である、という自覚が可能なのは常に社会が想定されているときである。だから個性の発揮ということは常に何らかの意味でその社会に貢献することでなければならない。個人の自由な行動がそのまま個性の発揮であり、社会貢献であるような社会はひとつの理想的な社会であると思います。しかし、「個の確立」といわれると何か個というものが、絶対的なものとして成立するかのような響きがするのです。私たちは様々なレベルの共同体や社会に重層的に属し、しかもそれぞれが密接に関係しています。

    先生は「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ、そしてさらにゲノッセンシャフトへというのが今日の時代状況であり・・・」と書かれていらっしゃいましたが、そのような歴史認識は一見明快ではありますが、少し単純化しすぎ、というか一理はあってもより多くの害があるように思うのです。先生はまた、「「むら」との決別、「個の確立」が必要・・・」と書かれていますが、私はその決別の意味をより深く考えるべきであると思うのです。(実は私はまだ先生のおっしゃる「むら」の論理なるものがよく分かりません。)

    私は非常に混乱しています。(実は当初書いていたことが破綻してしまってこうなってしまった。)少しでもコメントいただければ幸いです。ごめんなさい。

    今回の日本の酪農が抱える問題点についての講義は非常に明快で納得できました。ありがとうございました。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

      「個あるいは個人という概念は社会という概念と対の概念であると思います。」

       その通りだと思います。すでに返信メールのどこかで書いたと思いますが、人との関係性を欠いた「個」などというものはあり得ません。人の間にあるからこそ人間なのです。「個の確立」とは、決して自分が一番大切、と考えることではありません。人権は生まれながらに平等になるよう、社会を作っていかなければなりませんが、人間は生まれながらに個性をもっており、その意味で平等ではありません。しかもそれぞれの個性が違った社会関係の中で生まれ、成長するため、時の経過とともに、個性の違いはますます大きくなります。「個の確立」は、自分の持つ個性を自覚し、まだ原石でしかない自分の個性を磨いていくことです。その際、自分を取り囲む社会を離れて、自分の個性はあり得ません。例えば、自分の個性を生かす道が、他の人を生かす(助ける、補佐する)ことにある場合もあります。「個」が確立すればするほど、自己中心的な考え方は薄れていく、と私は考えています。

       「個」としての自分を自覚することは、自分の個性を育んでいる社会を自覚することでもあるのです。このことは、2つ前の返信メールを参考にしてください。ドイツ人は、子供の頃から「個の確立」を求める教育をすることによって、愛郷心を育てています。ドイツ人にとって、「個」の確立は、その「個」を育む社会とのアデンティーティーを生み、その社会に対する知識欲と愛郷心を育てているのです。それに対し、日本人は「むら」構造によって、個の確立が抑制され、その結果、自分が生まれ育っている社会や文化に対しても関心が薄くなっているのではないでしょうか。

       私が「個の確立」を主張するとき、必ずしも個人主義の主張をしているのではありませんが、個人主義ということで言うなら、今の日本には個人主義はほとんど存在していないと思います。存在するのは「むら」構造であり、「むら」の論理の弛緩によって生まれている、似非個人主義、利己主義です。

       ゲマインシャフトからゲゼルシャフトを経てゲノッセンシャフトへ、という図式が単純化しすぎているといわれれば、確かにそうかもしれない、といわざるを得ません。しかしその意味では、集団主義と個人主義など、二項対立的な図式はすべて単純化しすぎていることになります。別の返信メールでも書いたように、このような単純化は個別の事例を見ていく場合にはまったく不十分ですが、大きな捉え方をしていく場合には、きわめて有効だと思います。それは社会的現実をどう捉えるか、という問題であり、害があるとは、私には思えません。

       最後に「「むら」との決別」ということに関してです。繰り返し言いますが、私は「むら」を完全否定しているわけではありません。「むら」の中で集団に守られ無自覚に安住する生き方を、決して悪くないと思っています。ただ、今日の歴史的状況は、これを許すような状態にはない、ということです。世界は、今や否応なしにグローバル化の波に飲み込まれています。このような状況下においては、鎖国でもしない限り、閉鎖社会の中で安住することは出来ないのです。とするなら、われわれは個を確立して、グローバル化の波の中に、自覚してよりよい社会を形成していかなければならないのではないでしょうか。

       私が「むら」との決別を主張するのは、「むら」社会が個の確立を嫌う社会だからであり、私は、個が確立した市民がよりよい社会形成のために力を合わせる社会を理想として思い描いているのです。ゲノッセンシャフトはそうした理想社会を表す一つの表現なのです。

          柏 久


  9. 前回は色々な質問に「むら」の観点を含めて回答していただきありがとうございました。

    「学問」という言葉ですが、僕はこのような「知的営み」の入り口が儒学を始めとする中華古典だったせいか、「学問」という言葉もまず第一にその文脈に沿った形で理解していますが、そのことは前回の「学問を通して人格・教養・技術を身につけ世に出ても恥ずかしくないように自分を練磨する」という表現に表れていると思います。 「学問」という言葉は、やはり日本あるいは儒学圏特有の表現であって、その適切な訳語がみつからないというのは、僕も以前から感じていました。大学というものは組織を真似て導入すれば体裁は整うものの、その中身である「学問」がうまくその大学というシステムに埋め込まれることができずに、明治以来未だに不安定なままなのではないかと思います。

    前回の回答で先生は「それは、「大学の自治」というものが一定程度の市民権を 得てきたからです。しかし、もはや大学が特権を持つ存在である時代は終わっ ています。」と書いていました。

    この後半には僕も同意しますが、前半には疑問を感じました。「大学の自治」というものが「市民権を得てきた」と果たしていえるのかと思うからです。率直に言うと大学の外にいる人々、つまり大学とは無関係に日常を送っている人々の無関心・無知によって、社会と大学の関係というものへの批判・議論がこれまでほとんんどなされることがなく、その結果「大学の自治」が無傷に生き残っているだけなのではないかと思います。

    前回のメールで例示したように、大学の外にいる人々は大学生というものは毎日勉強して何かを「習得」しているのだという認識があると思います。(勿論、この裏には近年の大学教育の大衆化による大学への幻想の崩壊も確実に存在していると思いますが、ここではふれません。)そしてその「何か」とは、主に「技術」であると認識されていると思います。自分たちが持っているよりも、高級な「技術」(医学、司法、工学的技術、経済学的把握力、官僚的能力)を学生は習得せんとしているというイメージが大きいのではないかと思います。そこにおいて、「哲学」とは「知」の一分野に過ぎず、それさえも独占的な「技術」(哲学も水理学も並同列のものとして認識されていると思います)、具体的に言えば「継承のための知」としか認識されていないのではないでしょうか。

    先生や私が期待しているような、「学問」「哲学」の個々人における追究というものは大学の外の人々にはほとんど認知されていないというのが現状であり、その結果として「大学とは高等技術養成所である」という程度の認識しかないのではないでしょうか。そんな状況において「大学の自治」などという観念はまったく無視されていると思います。僕が恐れるのは、この大学の外の人々の大学に対する無関心と、大学内部の人間の怠惰によって大学の機能が充分に機能しなくなる事態が到来することです。

    私が言いたいのは、大学が本来あるべき姿で世間に認知されていないということです。勿論、「あるべき姿」は時代によって変遷するはずですが、それでも一貫すべきは前述したような「学問を通して人格・教養・技術を身につけ世に出ても恥ずかしくないように自分を練磨する」ということであると思います。大学教育から学問・哲学が失われれば、それはすでに「高等技術養成所」であって「大学」ではないと思います。

    大学が世間に対して自己説明を怠った結果、世間から理解もされなければ協力も支援も得がたいという状況に陥りつつあるのではないか、そしてその結果として大学の機能の低下(具体的に言えば、大学とは何か?学問とは何か?という問いかけを真剣にすることなく学生が入学し、そのまま卒業してしまうこと)が現在起きているのではないかと思うのです。

    今回のメールは、自分でも論点をうまく絞れず、先生に質問できるほどには自分の考えを適確に表現できませんでした。こんなことを考えている学生もいるということを、知ってもらえればそれでよいかのと思います。

    それで、というわけでもないのですが、講義の本論について一つ質問があります。 それは先生が講義の中で三圃式農業などで対象としている「ヨーロッパ」とはどの範囲なのでしょうか?多分、イギリスやドイツなどを中心に想定しているのでしょうが、地中海や東欧でもある程度当てはまるのでしょうか?

    最後の「講義で対象にしているヨーロッパの範囲」についてだけでも回答をいただけるとありがたいです。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

       「学問を通して人格・教養・技術を身につけ世に出ても恥ずかしくないように自分を練磨する」ところが大学である、というあなたの捉え方、前回も書きましたように、まったく同感であり、非常に素晴らしい表現だと思っています。

       19世紀初めのベルリン大学の創設に始まる近代大学には、国富、国力の増強に貢献する大学、という側面があります。その側面の導入が、日本の大学だったといえるかもしれません。東京帝国大学は、もともと国家のリーダー、国家官吏、および強力な近代国家形成のための高等技術者の養成機関の意味合いが強くありました。京大は、東大に対抗する勢力として作られたものですし、一部の私立大学を除けば、日本の大学は東大・京大を模範として、または両者に欠落した部分を補うために作られたものだといえます。したがって、日本の大学には、あなたの言われるような理念は、確かに根付いていないのかもしれません。

       「大学の自治」が市民権を得てきた、と私が言うのは、あなたの言われるような意味ではありません。私には文科省の高官の知人がおり、彼から文科省の考え方を色々と聞かせてもらっていますが、「大学の自治」ということは、文科省も認めるところだということです。とりわけ、東大、京大に対しては、文科省も一定以上の強制が出来ないと言います。末川博などによる学問の自由のための「教授会自治」「大学自治」は、その意味では市民権を得ていると言ってよいと思います(それを市民権と呼ぶことがよいかどうかは別として … )。

       大学が、総合大学の理念からはずれて、単科大学のようになっているということは、確かにあるように思います。高度な科学技術の開発・教育には、単科大学の方が効率的なのかもしれませんが、それによって抜け落ちるものの大きさを考えると、やはり総合大学の改革、新しい理念・システムの形成が不可欠なように思えます。

       社会(世間の人々)が大学をどのように見ているかということですが、これまでは学歴社会で生きていくための卒業証書発行機関としか見られてこなかったのではないでしょうか。

       しかし、大学冬の時代を迎え、不況下、即戦力の人材が求められ、学閥よりも実力が重視される時代になれば、大学に進学することそのものの価値が問われるようになり、大学もまた改革を迫られます。生き残りをかけて、「高等技術養成所」を目指すという方向もありますが、それであれば専門学校とどう違うのか、ということになり、それだけでは大学は存続の価値を失います。やはり大学は、「学問を通して人格・教養・技術を身につけ世に出ても恥ずかしくないように自分を練磨する」場を目指すべきだと思います。そして学生だけでなく、教官もまた自分を磨かなければならないのです。

       さて、三圃式農業が当てはまるヨーロッパの地域ですが、アルプス以北です。東欧もかなりな地域で当てはまると思います。

           柏 久







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    作成日:2003年6月12日
    改訂日:2003年6月12日
    制作者:柏 久